御礼 チャリティ展協力に感謝します。 |
おかげさまでチャリティ展はたくさんの方にお買い上げいただいております。誠にありがとうございます。会期末頃から通販向けに画像アップしていきます。いっぷくのブログの方にも載せていきます。
白濱雅也の作品は順次補充されていますのでご興味ある方はぜひお越し下さい。(白濱雅也)
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2011年 04月 25日
おかげさまでチャリティ展はたくさんの方にお買い上げいただいております。誠にありがとうございます。会期末頃から通販向けに画像アップしていきます。いっぷくのブログの方にも載せていきます。 白濱雅也の作品は順次補充されていますのでご興味ある方はぜひお越し下さい。(白濱雅也) ▲
by kitaibunshi-ms
| 2011-04-25 00:56
| 展覧会
2011年 01月 01日
あけましておめでとうございます。
公開制作の続きですが、会期中には完成に至りませんでしたので引き続き進んだ段階でご紹介していこうと思います。 糸崎さんが制作中の様子などを撮影して下さいました。ありがとうございます。 この作品は今まで僕が多方面に展開してきたことを統合しつつ新しい試みも盛り込んでいます。自分の中で整合がつかず別シリーズとしてきた部分や初期にわけもわからず試みて陽の目をみなかったものなどもここに来て重要度を帯びてきています。つまり制作に(人生に?)無駄はない、と思いたい。この展開の方向の詳細は新しいブログで書こうと思います。 このブログも細々と長く続けてきましたが、自分のサイトの開設に併せて心機一転、リニューアルしようと思います。この記事でひとまず終了します。リニューアルしたらこの場でもまたお知らせします。 プログレハードの行方、公開制作の続き、リノベーションアートのその後など書きかけのものは引き続き書こうと思っています。音楽の話が多かったのでもう少し制作のことを書きたいと思っています。まあそんなこと誰が読みたいのかという問題はありますが。 ではしばし、お休み。 ![]() ![]() ▲
by kitaibunshi-ms
| 2011-01-01 17:36
| 展覧会
2010年 08月 11日
私の展示が千葉県南酒々井で開催中です。
2002年展示されたキャベツ畑に捨てられての再演で、その後散発的に追加された作品もあわせて展示してます。 首都圏とは思えないのどかな田園のなかの古い酒蔵とその一角の曲がり家のギャラリー、その風景だけでも楽しめますしおいしいお酒も楽しめます。プチ旅行のついでにどうぞ(盆休みがありますのでご注意)白濱は21,28,29日在廊予定です。 白濱がデザインしたラベルの梅酒もコラボレーション販売中。結構好評。さすが醸造元、味も絶品! ![]() ![]() 白濱雅也展 ピーナツ畑でひろわれて 〜再演キャベツ畑に捨てられて 身体の一部が突然野菜になってしまう! 極近未来、国立遺伝子研究所に起こった謎の病気。 当惑と迫害の中で巻き起こるおかしくも悲しい物語。 各地に散った野菜人間たちは今年の夏ひさしぶりに酒々井まがり家で密かに再会するのでした。 ユーモアとシニカルな悲しみを感じさせる独特の世界を展開する白濱雅也が2002年に発表した「キャベツ畑に捨てられて」を酒々井で再演します。 物語付きのドローイングや大型の立体作品が古い曲がり家に配され、環境とともに鑑賞するスタイルは、現実と虚構が入り交じる不思議な体験となるでしょう。 飯沼本家 まがり家ギャラリー 千葉県印旛郡酒々井町馬橋106 総武本線 南酒々井駅下車徒歩10分 開催中 〜8月29日(日)まで 10時〜17時 月曜休 16-20日休 問い合わせ 043-496-1001 駐車場完備 詳細 http://www.iinumahonke.co.jp/index.html ▲
by kitaibunshi-ms
| 2010-08-11 11:56
| 展覧会
2010年 05月 22日
![]() ギャラリーの展覧会を見始めてもう随分時間がたつけれど、記憶に焼き付き続ける展覧会というのはそんなに多くはない。また当然そのようないい作品、いい作家が高い評価を受けている、とは限らないのである。 業績に対し評価が低い作家と思って私が真っ先に思い当たるのが和田賢一氏である。 中村一美との二人展で初めて見た珊瑚礁のような円還の作品がいまでも脳裏に焼き付いている。 当時、美術館の展示などにも選出されているから不当に評価されていなかったというわけではないが、中村一美や辰野登恵子のような抽象表現主義的な代表的な作家以上の仕事をなし得ていたにもかかわらず、彼らの陰に隠れてしまっている。いまでは若い学芸員などその名を忘れているのではないかと思うと非常に残念だ。 今改めてそのカタログを見ると、圧倒的な美しさとエネルギーに満ちていて、彦坂尚嘉氏の言葉を借りればプラズマ的絵画のかなり早い仕事ではないかと思う。 先進性は当時の作家の中でも高かったのではないか。 実は3年前に亡くなられたことを昨年作家仲間から伝え聞いて、回顧展も知らなかったこと、ご本人にお会いできなかったこと、企画の候補に何度か挙げながらお誘いできなかったことなど強く後悔している。 幸い深川ラボで展示した渡辺聖介氏とのつながりで奥様とお会いする不思議な縁を得た。 奥様とは会場で二言三言、言葉を交わしただけだったのだが、作家らしきたたずまいなどなにか気になるものがあり渡辺さんに伺うと画家であるとのこと、ネット上で見ているうちに偶然にも和田さんの奥様であることがわかったのである。 こういう不思議な直感はごくまれに働くのであるが、これも何かの縁であろうか。 和田賢一氏の仕事についてはこのあと改めて書きたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その故和田賢一氏と奥様で画家でいらっしゃる伊藤眞理様の小さな展覧会が開催されます。 伊藤様の作品も和田さんのDNAを共有されていることがDMからも伝わり、 初めて見る作品が楽しみです。 小品が中心とのことですが、実作に触れる貴重な機会です。ぜひご覧ください。 ギャラリーこはく 和田賢一 伊藤眞理 作品展 5月22日〜30日 11:30〜17:00 木金休 場所はさいたま市見沼区大和田2-1181-11 東武野田線大和田駅下車4分 070-5567-8729 場所はこちらの地図をご参照下さい。(展示情報はまだ掲載されてないようです) http://www.k5.dion.ne.jp/~g_kohaku/ ![]() ▲
by kitaibunshi-ms
| 2010-05-22 08:24
| 展覧会
2010年 03月 23日
VOCAには何度も失望していて、まあそれは私情も入っているから客観性も怪しかったわけだが、年齢資格から遠く離れた今は当時よりは冷静に見られるだろう。応募者というよりは推薦者やギャラリストに近い立場で見に行った。
毎年有望な逸材が出てくるなんてことはないわけで、今年は不作であったという言い方はできる。 しかしここ数年のカタログをみても、目を引く作品が少ない。 あまりにも既視感が残る。 もちろんリバイバルの時代、既視感があってもいいが、それを乗り越えようとする試行があまりに稚拙であったり、答えの出ているところであったりと空回りしているように見えてしまう。 会場を覆うこの空気は記憶がある。 晩年の安井賞の会場のようであり、かつての団体展の会場にいた時のような空気なのだ。 作品の真価が発するエネルギーではなく自己顕示の異様なエネルギーだけが蠢いている。 何度も絵画は死んだと言われ続けたが、通俗化したことで一見蘇ったようにみえつつ真に形骸化した姿をさらしているのではないか?ここにあるのは絵画のミイラか? 現代美術自体が古いものとなり絵画がその中でもさらに古いものになったのでは?という感覚に教われる。この感覚に明確な根拠はないのであるが、その腐臭は拭い難いものであった。 もうひとつ気になるのはその透明性だ。 客観的な審査、すべてを網羅した審査などあり得ないけれど、推薦制というのは地方の逸材を拾ったりというメリットはあるにしろ、なにか煙幕の向こうでの謀が感じられて仕方がない。それを言いがかりだとしても否定する透明性や客観性がそこには保証されてないではないか。 情報公開が求められて当たり前のこの時代に体制もまたあまりに古い。 ▲
by kitaibunshi-ms
| 2010-03-23 00:23
| 展覧会
2010年 03月 06日
![]() ばなな型 鉛筆 紙(原画) レーザープリント 鉛筆 ¥6000(額込み) ラボの向かい深川いっぷくで白濱雅也の展覧会が行われています。 2002年に発表した「キャベツ畑に捨てられて」のダイジェスト展示に新作ドローイング3点を加えた内容です。 http://igallery.exblog.jp/ ![]() 洋ナシ型 アクリル キャンバス ¥20000 Sold 2011年(もうすぐ!)の極近未来に国立遺伝子研究所で身体の一部が突然野菜になる病気が発生したという設定に沿って、様々な病状をドローイング、ペインティング、人形、カルテなどの形で記録しています。 その悲喜こもごも、奇妙な世界をお楽しみ下さい。 22日までゆるゆる延長してます。(月火定休祝日営業) ![]() モヤシ型 アクリル キャンバス ¥25000 ▲
by kitaibunshi-ms
| 2010-03-06 11:37
| 展覧会
2010年 01月 20日
展覧会が空虚である事と空虚を作品として表現する事は似て非なるものと思う。
人間は空虚な存在である。だからそれが表現の結果として作品内容に現れる事はあるだろうし、そこに共感を呼ぶ事もあるだろう。しかし作品そのものが空虚であるならば、徒労感しか残らない。 内藤礼は日本の現代美術のスターの一人である事は間違いない。だからその展覧会といえば何か期待を抱いて訪れても不思議ではない。 実質的な内藤礼のデビューであった佐賀町エギジビットスペースでのテントの作品は当時感銘を受けたように記憶している。(が、その後のメデアでの情報に攪乱されて今となっては本当に見たのかも記憶があやふやではある)しかしその後の展開で何度も徒労を味わう中で、疑問符が大きくなっていった。これは芸術でも何でもないのではないか?と。 中庭でテープがひらひらと舞ったり、表面張力で張りつめた水面を見せる瓶が意味ありげにおいてあったり、紐上のビーズが垂れ下がっていたり、それだけでは何というものでもなく、美術館という装置や周囲の池泉の舞台があって初めて成立する作品で、作品と言うよりも空間的なディスプレイ操作のように見える。 今回の目玉の光を用いた作品でも、もちろん美しいのだが、光はそれだけでも美しいのだから、イルミネーションを超えるものを望んでしまう。 立派な美術館の展示台の上にコップに入った水をおいて意味深げなタイトルをつける。すると、多くの人は何か深遠な作品ではないかと見入るだろう。 暗がりの中に静かにともる灯り。これが静謐な気分をもたらす。 これらは芸術のフリである。 今回の展示はどうしても、崇高な芸術作品のように見えるもの、というフリに見えてしまう。そのフリは大掛かりな方が成立するのだ。 汗水たらして、手数をかけたものだけが素晴しいというつもりはないが、コンセプトにしても空間美にしても、何かを求めて見に来るのだから、これを知らずとも構わないと思ってしまうのは、展覧会としてはまさに空虚である。 今週一杯。私はお薦めしないが、異論を感じる人は、貴方の眼で確かめて。 ![]() ▲
by kitaibunshi-ms
| 2010-01-20 01:17
| 展覧会
2010年 01月 09日
前々から気になっていた上野の森美術館でひらかれているチベット仏像展(正式名ではない)に行ってきました。チケット高いのよね。まあでもその価値はあります。
なかなかの内容で、まずは必見です。 虚飾をそぎ落としていくような枯れた精神を感じる日本の仏像と比べ、過剰な装飾をこれでもかと加味していく表現はそれはそれで見応えがあった。少し前に見たスリランカの仏像展も良かったがそれを上回る。人間味があり、人物像としてみると現代に通じる部分もありそうした通俗性も見ようによっては魅力だ。ただ時代が下がっていくにつれその通俗性は鼻につくようにはなる。 ほとんどが金属彫刻で改めて日本は木彫仏の王国であること、そしてその質は一級であることも再認識できる。今週で終わり、お早めに。 (後日、知人からチベットの木彫は焼かれたり売られたりで残っていないのではないかとの旨をご教授頂きました) ![]() ▲
by kitaibunshi-ms
| 2010-01-09 00:59
| 展覧会
2009年 11月 18日
ただいまマキイマサルファインアーツで開催中の2つの展示はなかなか見応えがあります。
ぜひ足をお運び下さい。 http://www.makiimasaru.com/mmfa/index.html その石川登の展示を紹介するテキストを会場にも掲出していますのでここにも載せておきます。 蜂谷さんの展示は若くて荒削りながら大変に力が入ったもので、DMの印象を遥かに超えるものがあります。この新鮮さをいつまでも持ち続けるのが実は大変なのですが。 ![]() ![]() ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 石川登の仕事 視覚の標本化 知覚が認識に先行するということはよくあることだ。言語化される以前に好奇心が動き出してしまうということもまたよくある。それが何であるかは後追いで分析され、確認されていくのだ。ここには何らかの欲望が隠されている。 今のカメラは自動化が進んでいるのでほとんど思考なしにシャッターを押していくことが可能だ。ほんの少し好奇心に触れるとか眼に留まった時点でシャッターを押す。そしてそれを作品と言ってしまえばそれで半分は完成だ。写真は知覚や認識を補うツールとしてはかなり優れているのである。 意外かもしれないが石川は優れたスナップフォトグラファーである。狩人のように世界にめがけてレンズを向けて切り取るというのではなく、路傍のささやかな小さな出来事をクローズアップするような視線を持っている。それはロケハンのようなスタンスで、注意を引くものがあるとそれを執拗にフォーマット化して追求する。 コンセプチュアルにも見える連作とミニマルなフォーマットは厳格な思考を思わせながら、そこには言語が介在していない。現代美術を見慣れた眼にはそのことに戸惑いを隠せない。これはなんなのだろうかと。 これは標本なのだ。 石川が見つけた新種の視覚。都市が生み出した変異の造形。 ◯◯属の××類の大同小異の中に見いだす価値。標本それ自体は何かしかの意思を表明はしない。その小さな差異に鑑賞者が意味を見いだすのである。 その分析と真意は鑑賞者に委ねられている。むしろ鑑賞者が現実に何を見ているかによって作品の真価が変わるのである。その意味においては作者の意図を超えて私たちは試されてしまっているのだ。 美術作家/深川ラボディレクター 白濱雅也 ▲
by kitaibunshi-ms
| 2009-11-18 00:44
| 展覧会
2004年 10月 27日
仮想学芸員通信13
彦坂さんの作品は断片的に拝見していますが、知らない作品もたくさん。 いやあ、美しいです。 鍛えられた目と理論に裏打ちされたものを感じます。 彦坂さんが主張する品やシースルー平面の考えを実感します。 ▲
by kitaibunshi-ms
| 2004-10-27 01:52
| 展覧会
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