だれでもわかる抽象画 Peter Halley |

学生の頃、友人にバーネットニューマンのカタログを見せられたことがある。恋人に関したタイトルだったかなにか由来のある大作の図版をみて、なんとコメントしたらいいか途方に暮れた記憶がある。
赤一色の巨大な画面に縦の白い線が一本ひかれているというものだ。
絵画史をかじればまあそれが何なのか多少は理解できるし、実作に近いものをみたときには圧倒的な広さの色面になるほどと思ったりもした。
しかしまあそれを美術の素人にわかってもらうのはかなり難しいし説明する自信もない。
ネオジオというポップアートとミニマルアートとレディメイドのいいとこ取りをしたようなブームで出てきたピータハリーという画家の作品も最初そんな風に見えた。
ただ、作品の解説や作家本人のコメントを見ると色面がセルという部屋のようなもので、そこにつながっている線が、電話回線などのネットワーク、格子状の矩形はその通りの牢獄の窓なのだそうだ。抽象絵画が苦手な私でもその作品は結構心に残り続けていて、いままさにネットワーク社会に身を置いているとその絵の真価が身に染みて伝わるのである。ネットワークが素通りしている作品があったり、独房として孤立するセルがあったりと、図式的だといえばそうであるが、それを読み解くことで現実との接点を見いだせるのである。このところ気になって思い出す作家の一人である。


具体的な意味がわかると親しみやすさはぐっと増して、間取り図や集積回路のようにも見えてずいぶん馴染みやすい一方で、先述のような先取りしたメッセージ性も読み取れて感慨深い。
抽象性も高いからインテリア的にも洗練している。
ハリーは理論家肌、努力家で、いわゆる天才性のようなものを嫌悪するタイプの作家で、これらの作品もいろいろな作家を研究し、次なる表現を求めてコンセプトを詰めた努力が垣間見える。


印刷ではわかりにくいが、実作を見るといわゆる蛍光的な塗料や凹凸の強いテクスチャーなどが使われていて、ニューマンなどの崇高性とは異なる発信力を発している作品であることがわかる。
初期が冴えていて、その後自己模倣が続いていてマンネリ気味のように感じられるのが少々残念ではある。