2009年 01月 20日
Wishbone Ash 表現を確立するもの(原点を探る-音楽編) |
最近は深川ラボにいる事も多いのだがそこにはラジカセが置いてあり、静けさが気になるとカセットテープをかけている。自宅にある古いテープをみつくろって持って行って聞いているのだ。そのなかにウイッシュボーンアッシュが入っていて久しぶりに聞いて改めてその良さに感じっている。
音楽を聞き始めて初めて買ったLPレコードは今となっては定かではないが、WishboneAshははじめかその次くらいに買ったと記憶している。それ以来ずいぶんと聞き続けた。
ウィッシュボーンアッシュはいまではハードロック/ヘヴィイメタルの世界で当たり前となっているツインリードギターの先駆けでありその後の多くのバンドに影響を残した。たとえばマイケルシェンカー、ルドルフシェンカー兄弟がフライングVを使い始めたのはアッシュのアンディパウエルに憧れてらしいし、ジューダスプリーストのスタイルは彼らの影響下にある。日本でもクリエイションやローレライの音にその片鱗が見える。
それまでリードギター/リズムギターに分かれているのが普通だった時に同格のギタリストがふたり、しかもギターデュエットでメロディーパートを奏でるというのはかなり新鮮だったに違いない。デビューは1970年。
代表作は「百眼の巨人アーガス」とされるがライブバンドである彼ら魅力が堪能できる
「LIVEDATE」を挙げたい。17分に及ぶ「フェニックス」は名曲で、延々ソロをとるアンディパウエルのギターワークは冴えに冴え渡っている。
スタジオ盤ならば「永遠の不安」を代表作としたい。「アーガス」「LiveDate」は火花を散らすようなバトルやギターオーケストレーションを期待して今の耳で聞くと、思ったよりツインリードパートが少ない。
「永遠の不安」では10分に及ぶインストゥルメンタル曲「FUBB」でその真価がタップリ楽しめる上、名曲「永遠の女神」「LadyJay」では彼らの真骨頂の泣きのメロディーが楽しめるのである。
このアルバムではギタリストの一人テッドターナーからローリーワイズフィールドにメンバーチェンジしてアメリカ指向となる。私はこの組み合わせの方がアンディの知的なギターとローリーのホットなギターというコントラストが出ていて好ましい。
当時アメリカンナイズされたと言って非難されたが、そうした曲は2-3曲で十分にイギリス的な音だと言える。マンドリンやバンジョーなどの音色も色を添えている。
ちなみにアメリカ色が加味されたアッシュはプロデューサーにイーグルスもプロデュースするビルシムジクを迎えているので、イーグルスに直接的に影響を与えている。ホテルカルフォルニアや呪われた夜を聞いた時にアッシュみたいだなと思ったのは偶然ではなかった。
さて前置きが長くなったが、このいぶし銀のようなバンドの魅力を探ってみたいと思う。
ツインリードギター自体は偶然の産物であったらしい。中心人物マーティンターナーのキーボードの募集にギタリストが応募して来て、音を合わせてみたら良かったのでツインリードギターに変更したという経緯なのだそうだ。
マーティンターナーはプログレ的な志向があったのだろう。ファーストアルバムから10分に及ぶ大作「フェニックス」が収められている。だからキーボードを求めたのだがそれをギターに変更した所でまず大きな個性を生む。
二人のギターがハーモニーでメロディを奏でるという手法がなによりアッシュの特徴であり、そのほかにそれぞれがギターソロをとる、ギターの掛け合い、アルペジオの絡みなどのギターアンサンブルの追求がなされている。
今程エフェクター類が発達していないので、二人いたとしてもギターだけでキーボードのように持続音で埋めるのは難しい。キーボードがいない故に音の隙間を生かした空間性があり、その幽玄なムードが他にない魅力なのである。
特にうなりを上げるマーティンのベースが二人のギターと絡む場面があり、そうした音は他のバンドでは出来ないアッシュならではの魅力である。
楽曲はこうしたギターの特性を生かすべくイギリス特有の陰りのある楽曲が多くマイナー系の叙情味溢れるメロディラインが多用される。ベーシスト、マーティンターナーの枯れた歌声や中世風をにおわせる歌詞と相まって「哀愁」と形容される音が形成されている。重いリズムが持ち味となって特にスローテンポの曲で持ち味が発揮されている。
彼らの楽曲はハードロック系の低音系リフ中心の無調的なものではなく、アルベジオを伴うリフと長めの循環系コード進行で、メジャーとマイナーを揺れ動くような楽曲である。その辺りが音楽的な秘密であろう。和音自体はシンプルでありその辺が今の耳多少古さを感じる部分ではある。
このバンドはそれぞれがなかなかの名手であるが、スタープレイヤーがおらずカリスマ的なリーダーもいない。作曲面でのリーダーシップも特に見えずそういう意味では結束型のバンドの良質形と言える。
それぞれの資質を最大限に生かし、楽曲を練り上げ、音楽性を高める、そうしたまじめな音作りが彼らの魅力なのである。ジャンル分けが難しいという事はオリジナリティを確立しているともいえ、孤高の存在なのだ。
アッシュの場合視覚的なインパクトや話題性のようなアピール度が特に強いものではなくこの辺が地味な印象を拭えない所であろう。
このあとアッシュはアメリカに移住、アメリカ志向と元来のイギリス色との間を揺れ動く。次作「
Locked in」が失敗し、「因果律」で本来の魅力を取り戻すがこの時点で1978年、パンクムーブメントが席巻しクイーンやエアロスミスといったハードロック第2世代が台頭する時代に入り、メンバーチェンジが始まり失速する。
地味であってもアッシュは十分に確立した音を持っていたのだ。
孤高の存在がより一層の成功を目指すがその過程で外の音に目が移ったのだろう。
ビッグヒットにならずとも時代から見放されようとも結束を維持して持ち味に磨きをかけて行けば良かったのである。
しかし最後のオリジナルメンバーのアンディパウエルは不屈の精神で粘っている。
彼が率いている近作がどのような音なのか確かめて見たいと思っている。
音楽を聞き始めて初めて買ったLPレコードは今となっては定かではないが、WishboneAshははじめかその次くらいに買ったと記憶している。それ以来ずいぶんと聞き続けた。
ウィッシュボーンアッシュはいまではハードロック/ヘヴィイメタルの世界で当たり前となっているツインリードギターの先駆けでありその後の多くのバンドに影響を残した。たとえばマイケルシェンカー、ルドルフシェンカー兄弟がフライングVを使い始めたのはアッシュのアンディパウエルに憧れてらしいし、ジューダスプリーストのスタイルは彼らの影響下にある。日本でもクリエイションやローレライの音にその片鱗が見える。
それまでリードギター/リズムギターに分かれているのが普通だった時に同格のギタリストがふたり、しかもギターデュエットでメロディーパートを奏でるというのはかなり新鮮だったに違いない。デビューは1970年。
代表作は「百眼の巨人アーガス」とされるがライブバンドである彼ら魅力が堪能できる
「LIVEDATE」を挙げたい。17分に及ぶ「フェニックス」は名曲で、延々ソロをとるアンディパウエルのギターワークは冴えに冴え渡っている。
スタジオ盤ならば「永遠の不安」を代表作としたい。「アーガス」「LiveDate」は火花を散らすようなバトルやギターオーケストレーションを期待して今の耳で聞くと、思ったよりツインリードパートが少ない。
「永遠の不安」では10分に及ぶインストゥルメンタル曲「FUBB」でその真価がタップリ楽しめる上、名曲「永遠の女神」「LadyJay」では彼らの真骨頂の泣きのメロディーが楽しめるのである。
このアルバムではギタリストの一人テッドターナーからローリーワイズフィールドにメンバーチェンジしてアメリカ指向となる。私はこの組み合わせの方がアンディの知的なギターとローリーのホットなギターというコントラストが出ていて好ましい。
当時アメリカンナイズされたと言って非難されたが、そうした曲は2-3曲で十分にイギリス的な音だと言える。マンドリンやバンジョーなどの音色も色を添えている。
ちなみにアメリカ色が加味されたアッシュはプロデューサーにイーグルスもプロデュースするビルシムジクを迎えているので、イーグルスに直接的に影響を与えている。ホテルカルフォルニアや呪われた夜を聞いた時にアッシュみたいだなと思ったのは偶然ではなかった。
さて前置きが長くなったが、このいぶし銀のようなバンドの魅力を探ってみたいと思う。
ツインリードギター自体は偶然の産物であったらしい。中心人物マーティンターナーのキーボードの募集にギタリストが応募して来て、音を合わせてみたら良かったのでツインリードギターに変更したという経緯なのだそうだ。
マーティンターナーはプログレ的な志向があったのだろう。ファーストアルバムから10分に及ぶ大作「フェニックス」が収められている。だからキーボードを求めたのだがそれをギターに変更した所でまず大きな個性を生む。
二人のギターがハーモニーでメロディを奏でるという手法がなによりアッシュの特徴であり、そのほかにそれぞれがギターソロをとる、ギターの掛け合い、アルペジオの絡みなどのギターアンサンブルの追求がなされている。
今程エフェクター類が発達していないので、二人いたとしてもギターだけでキーボードのように持続音で埋めるのは難しい。キーボードがいない故に音の隙間を生かした空間性があり、その幽玄なムードが他にない魅力なのである。
特にうなりを上げるマーティンのベースが二人のギターと絡む場面があり、そうした音は他のバンドでは出来ないアッシュならではの魅力である。
楽曲はこうしたギターの特性を生かすべくイギリス特有の陰りのある楽曲が多くマイナー系の叙情味溢れるメロディラインが多用される。ベーシスト、マーティンターナーの枯れた歌声や中世風をにおわせる歌詞と相まって「哀愁」と形容される音が形成されている。重いリズムが持ち味となって特にスローテンポの曲で持ち味が発揮されている。
彼らの楽曲はハードロック系の低音系リフ中心の無調的なものではなく、アルベジオを伴うリフと長めの循環系コード進行で、メジャーとマイナーを揺れ動くような楽曲である。その辺りが音楽的な秘密であろう。和音自体はシンプルでありその辺が今の耳多少古さを感じる部分ではある。
このバンドはそれぞれがなかなかの名手であるが、スタープレイヤーがおらずカリスマ的なリーダーもいない。作曲面でのリーダーシップも特に見えずそういう意味では結束型のバンドの良質形と言える。
それぞれの資質を最大限に生かし、楽曲を練り上げ、音楽性を高める、そうしたまじめな音作りが彼らの魅力なのである。ジャンル分けが難しいという事はオリジナリティを確立しているともいえ、孤高の存在なのだ。
アッシュの場合視覚的なインパクトや話題性のようなアピール度が特に強いものではなくこの辺が地味な印象を拭えない所であろう。
このあとアッシュはアメリカに移住、アメリカ志向と元来のイギリス色との間を揺れ動く。次作「
Locked in」が失敗し、「因果律」で本来の魅力を取り戻すがこの時点で1978年、パンクムーブメントが席巻しクイーンやエアロスミスといったハードロック第2世代が台頭する時代に入り、メンバーチェンジが始まり失速する。
地味であってもアッシュは十分に確立した音を持っていたのだ。
孤高の存在がより一層の成功を目指すがその過程で外の音に目が移ったのだろう。
ビッグヒットにならずとも時代から見放されようとも結束を維持して持ち味に磨きをかけて行けば良かったのである。
しかし最後のオリジナルメンバーのアンディパウエルは不屈の精神で粘っている。
彼が率いている近作がどのような音なのか確かめて見たいと思っている。
by kitaibunshi-ms
| 2009-01-20 02:06
| 音楽