白濱雅也の制作日記 Diary of Shirahama Masaya
2013-02-17T23:22:09+09:00
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美術作家 白濱雅也の関心事
Excite Blog
新ブログ移行のお知らせ
http://kitaibunsh.exblog.jp/15549599/
2011-05-16T12:33:53+09:00
2011-05-16T12:27:22+09:00
2011-05-16T12:27:22+09:00
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日記
http://ameblo.jp/shirahamamasaya/
アメブロ使いやすいかどうかわかりませんが。]]>
壁画制作進行中
http://kitaibunsh.exblog.jp/15515636/
2011-05-11T22:55:00+09:00
2013-02-17T23:22:09+09:00
2011-05-11T22:48:58+09:00
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制作
白濱雅也 ShirahamaMasaya
Remember3.11
高耐候性アクリル塗料
所在地 江東区白河3丁目 河口歯科駐車場
協力 サクラ
3月中旬よりいっぷく近くの河口歯科駐車場壁面に壁画を制作中です。間もなく完成予定。
幅18mのなかなかの大作。
プラン検討中に震災に遭いました。もともとコミュニティの喪失と再生をテーマにしていたのですがそこに今回の震災のことを盛り込みました。
東京新聞にも取り上げていただきました。
私としては20年ぶりくらいの抽象的な表現を用いてますが、その点を含め
作品の内容については後ほど詳細を書きたいと思います。
画像はPCによるプランです。実際には細部を変更しながら進んでいます。
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御礼 チャリティ展協力に感謝します。
http://kitaibunsh.exblog.jp/15354853/
2011-04-25T00:56:21+09:00
2011-04-25T00:50:16+09:00
2011-04-25T00:50:16+09:00
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展覧会
おかげさまでチャリティ展はたくさんの方にお買い上げいただいております。誠にありがとうございます。会期末頃から通販向けに画像アップしていきます。いっぷくのブログの方にも載せていきます。
白濱雅也の作品は順次補充されていますのでご興味ある方はぜひお越し下さい。(白濱雅也)]]>
UK 来日公演 4/15 セットリスト
http://kitaibunsh.exblog.jp/15277030/
2011-04-16T11:44:21+09:00
2011-04-16T11:38:32+09:00
2011-04-16T11:38:32+09:00
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音楽
2時間半、お腹いっぱい。
昨年もUKZで聴いているので新味は減じてましたが
UKZで聴けなかったNevermore,By the light of day〜Prest vivace〜reprise,Danger Money,
CrimsonのStarlessなどは感涙もの、ラストのJohn&Eddie二人のRendevous6:02は沁みました。
レビューは改めてまた。
(Crimson関係の曲名まちがってたらごめんなさい)
UK reunion live in Japan setlist
In the dead of night-By the light of day-Prest vivace-In the dead of night reprise
Danger maney
Thirty years
Alaska-Time to kill
Starless
Carring no cross
Marco Solo
Eddie Solo
John Solo (Book of saturday)
Nevermore
One more red night mare-Ceasers palace blues
Sahara of snow
Night after night
The only thing she needs
Rendevous6:02 (John&Eddie)]]>
近況/twitter
http://kitaibunsh.exblog.jp/14814402/
2011-01-27T08:46:00+09:00
2011-04-16T11:29:45+09:00
2011-01-27T08:42:32+09:00
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日記
http://twitter.com/shirahamamasaya]]>
新作の制作過程2
http://kitaibunsh.exblog.jp/14680775/
2011-01-01T17:36:00+09:00
2011-01-01T17:34:48+09:00
2011-01-01T17:32:54+09:00
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展覧会
公開制作の続きですが、会期中には完成に至りませんでしたので引き続き進んだ段階でご紹介していこうと思います。
糸崎さんが制作中の様子などを撮影して下さいました。ありがとうございます。
この作品は今まで僕が多方面に展開してきたことを統合しつつ新しい試みも盛り込んでいます。自分の中で整合がつかず別シリーズとしてきた部分や初期にわけもわからず試みて陽の目をみなかったものなどもここに来て重要度を帯びてきています。つまり制作に(人生に?)無駄はない、と思いたい。この展開の方向の詳細は新しいブログで書こうと思います。
このブログも細々と長く続けてきましたが、自分のサイトの開設に併せて心機一転、リニューアルしようと思います。この記事でひとまず終了します。リニューアルしたらこの場でもまたお知らせします。
プログレハードの行方、公開制作の続き、リノベーションアートのその後など書きかけのものは引き続き書こうと思っています。音楽の話が多かったのでもう少し制作のことを書きたいと思っています。まあそんなこと誰が読みたいのかという問題はありますが。
ではしばし、お休み。
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新作の制作過程1
http://kitaibunsh.exblog.jp/14645523/
2010-12-26T01:02:53+09:00
2010-12-26T00:59:44+09:00
2010-12-26T00:59:44+09:00
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制作
今回、鶴田吾郎の戦争画「神兵、パレンバンに降下す」をトリビュートするのであるがその絵はこれ。
これをフォトショップで加工し下図を作る。ただしこれは3層構造のうちの一層。
白のジェッソ数回塗りのあと、赤のジェッソで下塗り
比率をとりながら地面の部分をオーカーのジェッソで下塗り。魚眼的空間にしているので水平ではなく湾曲させている。
ピンク系で地塗りしつつ、空のグラデーションをおおまかにつけてみる。
中景となる雲や人物、前景となる落下傘のあたりを取る。人物は元になる絵からポーズはそのままで配置にアレンジを加える。
色を付けてバランスを見る。色相は4色調和で計画済み。
ここからギャラリー。空の部分の背景画となる秋葉原とシンデレラ城をグリザイユ風に描く。
中央と周辺部とで少し色相をずらす。マゼンタ〜レッドのペールトーンで変化させる。
マゼンタ系、歯が浮いたような感じで落ち着かない。
様子を見ながら書込む。リアルになりすぎず、空にもとけ込みつつ、タッチもみせつつという微妙なところを探る。ベタにするか悩むが、べた塗り作業はあまり得意ではないのと、廃墟風に荒れた感じも出したいのでタッチを出して表現主義風に描き加える。
派手な色と魚眼風の遠近感も相まって迫りだしてくるような空間感となってきていい感じ。すこしほっとする。
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ほんの少し早すぎた最期 清水誠一さんを悼む
http://kitaibunsh.exblog.jp/14552190/
2010-12-09T02:07:00+09:00
2010-12-09T02:11:56+09:00
2010-12-09T02:05:03+09:00
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日記
2005−2007くらいまで一緒にグループ展をすることなどがあってよくお会いしていた。
身体も大きく、声も大きく、下ねたや駄洒落や酒が好きで豪放な方であった。
はたから見ると私が眉をひそめそうに見えるかもしれないが、清水さんとは結構うまが合うところがあって私はその大きな声でお話を伺うのが好きであった。
私が清水さんを知ったのはかれこれ20年くらい前の美術手帖の誌上でである。作品はそれほど好きではなかったが、そのいかにも論客風の風貌とコメントが印象深かった。
言葉の記憶はあやふやだが、優れた芸術にはその構造と根拠があるというようなことが書かれてあって作家活動を始めようとしていた自分にとっては戒めのように聞こえた。その頃の作風の絵を改めて見ると知的で上品で美しい。
その清水さんと親しくなるとは夢にも思わなかった。人生とは不思議なものだ。
しかし私が知っている清水さんはむしろハードコアでパンクではじけた清水さんで、気派展から突如出現した駄洒落具象画の強烈な画風に印象づけられている。情緒や論理的な判断を許さないその駄洒落のナンセンスさはどこまで本気か疑ってしまうほどである。そんな駄洒落絵画のなかでもとりわけ美しい作品のひとつ「シャッターチン」。社会全般が女性的に転換して大きく変わっていってることを実にタイムリーに捉えた作品なのかもしれない。
「粘りの白濱でやればいい」
消沈気味の私を励まして下さったこともあったし、
あるときは珍しく酔って電話をくださり、踊る操り人形のような絵を描いている白濱を思い描いたとおっしゃって下さった。
他の方とは少し異なる独特の思いやりが私には快かった。
最期の大作Under cuckoo nest 。実作は見ていないけれどこんな穏やかな絵は清水さんには珍しい。けれど清水さんの思いやりが感じられる気もする。こんな穏やかな境地に辿り着いてしまったのかもしれない。晩年のいい作品だと思う。
まさかこんなに早くお別れが来るとは少々予定外であった。こちらにゆとりができたらのんびり遊びに行きたいなとおぼろげに思っていた。
私は死に対しては誰が明日死んでもおかしくないと思っていて、親でも涙がでないほど冷静なのだが、清水さんの死は少し早すぎて寂しい。もっと早く小淵沢に伺いたかった。
ご冥福をお祈り申し上げます。]]>
選ぶのが苦しい?今度は1440パターン!Pentax K-r
http://kitaibunsh.exblog.jp/14529960/
2010-12-05T09:58:00+09:00
2010-12-05T10:05:40+09:00
2010-12-05T09:55:28+09:00
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デザイン
Japan type?
桜餅type?
現場モデル?
コレジャナイロボモデル
Pentax苦肉の奇策K-xのユニクロ的カラー展開はどうやらあたったらしい。
売り上げランキングでも上位に迫り奮闘した。
スカンクの残しっ屁のような一撃!
これでK-5や645Dが出せたのかもしれない。
さてそのバージョンアップ版K-r
これはもっとすごい。
ボディカラー12色、グリップカラー10色で120のツートーンパターンが可能となる。
これだけでもすごいのだが、今度はレンズも12色用意されている。
これで全パターン1440種!!
うーんこれはすごいけど、選ぶのも大変だ。
私のような色の専門家でも困るほどの種類、ふつーの人は目が回らないだろうか?
これだけの種類になると色彩計画の知識が必要か。
私がヨハネスイッテンの色彩論に基づいたカラーコンサルティングしますよ。
びーしゃさんのカラー占いとセットで一儲け?
このカラー占いでは私の色は紫と金。それに自分の好きな色の黄を加えると…、
ぐおお、発狂しそうな色だな!
5年前には考えもつかないカメラだ。
とシミュレーションするだけでも楽しい。
選ぶ苦痛というは現代の病でもある。
何かを買おうとしたときの選択肢の多さに当惑しないだろうか?
スーパーや量販店でめまいに襲われるのは私の歳のせいか?
上の画像のモデルは限定版K-rでもコレジャナイロボモデルというもの。
K-xでも出ていてすぐに完売したらしい。
私のような年代が持つのは気が退けるけど、このばかばかしさ楽しいね。
こういうのですごい傑作を撮っているってなんかいいじゃない。
森山大道のようなかっこいい写真撮ってて、愛機は何ですかっていわれたら、
コレジャナイロボモデルですってみせるわけ。
いいねえ。
娘息子に買い与えるフリして自分に買うか(笑)
カメラが一家の家宝のような存在だった時代は完全に終わったのだ。それは技術立国日本の終焉ということでもある。その意味でもそのことに終止符を打ったPentaxはすごい。なんといっても一眼レフを切り開いたのはPentaxだからだ。
そういえばこのK-r、正面からだけど、往年のMEあたりの面影がペンタ部に感じられる。どこなく懐かしさも。初恋のひとの娘や孫を見る想いか。
120パターンはこちら
http://www.pentax.jp/japan/imaging/digital/slr/k-r/feature_6.html
カラーシミュレーターはこちら
http://www.camera-pentax.jp/k-r/
コレジャナイロボモデル
http://www.camera-pentax.jp/k-r/news/20101203.html]]>
奇跡の声 藤岡宣男 ハイトーンボイスフェティシズム
http://kitaibunsh.exblog.jp/14354458/
2010-11-06T09:01:00+09:00
2010-11-06T09:26:29+09:00
2010-11-06T08:59:11+09:00
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音楽
僕が洋楽で最初の好きになったSimon&gerfunkelも天使の歌声として語られたハイトーンボイスが売りだった。OpusIIIを久しぶりに聴いてからKirstyの歌声に触発、久しぶりにハイ−ンボイスフェティズムを再認識した。
その中でいろいろ聞き返したり調べているうちに知ったのが藤岡宣男。この人の声は心から美しいと思う。歌声だけで感極まってしまった。国内のカウンターテナーの代表的な一人。事故で数年前に亡くなっている。生で聴きたかった…。海外のカウンターテナーと比べても繊細さや表現力で上回っているように思う。こういう高い裏声は線の細い日本人には向いているのかもしれない。
サブカルなどの下流志向にばかり浸っていると、こういう磨かれた美しさの力を忘れてしまう。
こちらはそのKirsty Hawkshow。曲やアレンジはいかにもトランスという凡庸さがあって苦笑するが、天を駆け巡るがごとくKirstyの歌声がこの曲に命を与えている。この人ただの一発屋ではなかったのね。
そのKirstyのIts fine dayの2002 remixがありました。
これもいかにもなんだけど、このリミックスはひとつ驚いたことがあって、前半やや無理矢理にドローン(通奏低音)で進行、1:07あたりの転調で本来の和声に戻している。ここの転調がドラマチックで、こういう楽曲の根本から変えるリミックスって多くないと思う。
あと余談。このころのkirstyは淑女に移り変わる年頃ながらあどけなさが残っていて、その少女から大人の女性に移り変わる美しさと醜さが同居して蠱或的。まあ文句のない美人なんですけどね、その危うげな感じがよかったりして。]]>
Uriah heep来日公演 ベテラン、現役の底力 (最後にSetList)
http://kitaibunsh.exblog.jp/14279602/
2010-10-25T07:44:00+09:00
2010-10-26T06:56:05+09:00
2010-10-25T07:42:49+09:00
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音楽
実はそれほど期待はしていなかったですが、ふたを開けてびっくり、手抜きのない充実の演奏。エンターティメントとしてもよく練られた公演でした。
ここ数年の復活組や往年のベテランの公演をいくつか見ていますが、「なかなかいいけどまあこんなもんだよなあ」と思うことが多い中で、それを覆すベストのひとつと思いました。40年現役、世界中をツアーしているのはだてではなく、歴戦の戦士を見る思いでした。
Best of ..に収録されている代表曲に「悪魔と魔法使い」の全曲、新作や後期のSea of lightsなどからの数曲を交えた選曲はまさにbest選曲、名曲の多い彼ららしい捨て曲のないセット。
いろいろ発見があったのですが、
まずメンバー全員が唄うコーラスワークは完璧で、ヘビィな音とのコントラストが美しい。
Barnie Shawは歌唱力を随分増していてカリスマ的ではないもののステージをリードする存在感がありました。Byronのムードもよく出していて往年の曲でもがっかりする部分はあまりありません。Journeyなども好きだと言う通り、時折スティーブペリーを思わせる所もあり、いまのheepにあっています。
Phil Lanzonのキーボードもハモンドを主体にし往年のムードを良く再現しつつも時代的な新しさも少々加味して、ケンに比べてスマートな印象。
Mickboxのギターはそんな中でギラギラした70年代らしい粘る音でハードロックの猥雑さを残していました。白髪ロングの彼は若い頃と少し印象が変わりまるで仙人のようさすがリーダーとしての貫禄も漂ってます。
そして実は演奏でのおおきな再認識はTrevorBolderとRussel Gilbrookのリズムセクションで、骨太の音をたたき出していました。Bolderは貢献度が高くテクニシャン、Leeには申し訳ないけれど、若いRussellでリズムの切れやシャープさは増して、heep再興に一役買っています。
バンドの性格を改めて再認識したのですが、ドラマティックで美しいメロディのハードロックというもので、産業ロックの原型がありますし、Museなどの後輩へつながるものでもあります。プログレ的と言われる部分はそのドラマティックな長い曲において表れていて、ライブでもハイライトになっています。そして彼らの音がいまでも聴けるのはそのメロディの美しさにあると再認識。
またアルバムでは地味なミディアムテンポ、スローテンポな曲もliveでは冴えていて、このバンドの多面性がよく出ていました。
このメンバーでの演奏は機材などの違うので単純に比べられないけれど、コーラスやリズムセクション、アンサンブルなど往年の黄金期を勝る部分があります。新曲はハードロック然とはしていますがまだ余力がありそうでもう一段パワーアップするかもしれません。
還暦バンドの充実に実は結構、励まされたりした。
今回のハイライトのひとつであった「circle of hands」。この曲のliveを聴く日が来るとは。
24日setlist
Wake The Sleeper
Overload
Bird Of Prey
Stealin'
Love In Silence
The Wizard
Traveller In Time
Easy Livin'
Poet's Justice
Circle Of Hands
Rainbow Demon
All My Life
Paradise
The Spell
Rain
Free 'In' Easy
Gypsy
Look At Yourself
Angels Walk With You
Shadow
July Morning
アンコール
Lady In Black
Uriah heepについてはこちらにも書いてます。
http://kitaibunsh.exblog.jp/14108219/]]>
凛として時雨
http://kitaibunsh.exblog.jp/14266171/
2010-10-22T23:52:00+09:00
2010-10-26T07:13:37+09:00
2010-10-22T23:50:39+09:00
kitaibunshi-ms
音楽
偶然にも若い知り合いに教えてもらったバンド「凛として時雨」
まず名前のセンスがいい。日本語のバンド名は難しいけれど、こんな名前のつけ方があったか。
音を聴いて同じように驚いた。日本の若いバンドにこんなすごい音を出すのがいるのか!と。
若いバンドを聴いてもルーツや元ネタが透けて見えることが多い中、このバンドはそうした掴みがしにくい。そして以前書いたMuseのように多様な音の積層が感じられる。
このブログを見ていれば私は洋楽偏重のように思われるかもしれないが、紫やクリエイション、四人囃子あたりを筆頭に日本のロックも随分聴いてきているしライブも数えきれないくらい見てきた。それでもここのところ日本のバンドに興味を失ってきていたのは、いわゆるJ-pop時代になって商業主義が浸透して、ロックが単なる歌謡曲のようになってしまってクリエイティビティを失っているからだ。世間で評判のいいのを聴いてもまあこんなもんかと思うことが多かったのである。
「凛として時雨」は久しぶりに心が踊り、いささか衝撃を受けた。
天性を感じさせるギターの卓越したテクニックと独創性を柱に、元ネタが透けて見えない確かな楽曲のオリジナリティ、クリシェ(常套句)をことごとく裏切る曲展開、シリアスな悲愴が漂う歌詞、ファルセット気味のハイトーンの男女ボーカルとそのひとつひとつ凡庸を避け得ていて見事。そのことはPV映像の志向にも波及している。
もちろん、My Bloody Valentine,CocteauTwins,Rush,Muse,Radioheadなどの先達の影響は見えるけれどそれが決定的というものでもなくあくまで、下地としてのそれである。
こういう困難なことを軽々とやってのける(ように見える)ところに、時代と若さを痛切に感じて、初めてといってもいいくらい自分が年老いたことの衰えや遅れというものを実感した。そういう意味でも衝撃でもあった。
まあまだ聞きかじりなので偉そうなことは程々に、分析はもう少しあとにしてみたい。
疾走するような曲が多い中で抑制の利いた印象的な曲。345の抑揚のないヴォーカルが光るいい曲だね。
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Uriah heep再興! 20年ぶり、そして最後の再来日
http://kitaibunsh.exblog.jp/14108219/
2010-09-29T13:07:00+09:00
2010-09-29T21:54:15+09:00
2010-09-29T13:06:17+09:00
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音楽
ヒープは僕にとって初めてのアイドル的に好きになったロックバンドであり、初めて演奏した曲のバンドでもある。
すでに不運のヴォーカリスト、デビッドバイロンも悲劇のベーシスト、ゲイリーセインもこの世にはいない。大黒柱ケンヘンズレーもいないしリーカースレイクも引退している。バーニーショウの歌がものたりないとしても、オリジナルメンバーはミックボックスだけだとしても、しかし彼らの曲を生で聴くとしたら彼ら以外に誰の演奏で聞くというのだ?もうこれで最後なのだ。いかねばなるまい。
結成40周年!
リーダーMickBoxはもう還暦をすぎている。
往年の名声にすがるような延命を軽蔑するのは簡単であるが、実際バンドを維持するのは本当に大変なことなのだ。そしてバンドを離れた人たちが成功するのも稀なのである。名声はそう何度もあげられない。世界中にheepを知る人がいる。やはりこれは大きな財産である。
ここに来てheepは力を盛り返してきている。もちろん新しさはないけれど、長い苦難のときを乗り越えて黄金期を思わせる力強さが戻ってきている。これは驚くべきことであり感動的である。その最新作からオープニングチューン「Wake the sleeper」
ユーライアヒープはハードロックを築いた立役者のひとりである。ハードロックを切り開いたレッドツエッペリン、ヘヴィメタルのルーツ、ブラックサバスを別格としても、スラッシュメタルのルーツディープパープルなどと同等にメロディアスハードロック/プログレハードのルーツとしてもっと評価されてしかるべきと主張したい。
ボストン、ジャーニー、ボンジョヴィなどに通じる「最も売れる」産業=スタジアムロックの原型を確立したのはユーライアヒープ、彼らなのである。
ヒープにはいわゆるカリスマ的スタープレイヤーがいない。これもひとつ失速を早めた理由ではある。ハードロックバンドにはギターヒーローがつきものであるが、ミックボックスは特徴の少ない地味なギタリストであるし、ケンヘンズレーもロックキーボード奏者として草分けではあるがテクニック的にはDパープルのジョンロードに見劣りがする。デビッドバイロンはスター的存在ではあるが、上記の3バンドの強烈なカリスマ的ボーカリスト達に比べるとひいき目に見ても見劣りすると言わざるを得ない。
そう、ヒープは個人技ではなく、総合力で勝負しているのである。ヒープはいくつかの特徴があってそれらの組み合わせでオリジナルティを確立している。
まずよく言われるのはコーラスワークである。メンバーのうちの4人あるいは全員唄える強みを生かして、コーラスをサウンドの重要な一要素として使っている点である。これはイエスとともにクイーンはじめ後進のバンドに大きな影響を与えていて現在でもそれは続いている。
これに線は細目だが、美しい声とハイトーンのファルセットボイスのバイロン、リードボーカルも担当するケンのセカンドヴォーカルも絡んで凝ったヴォーカリゼーションを展開している。
また楽曲も歌を重視していて、他のバンドのようなインスト/ソロパートは短くあくまで歌そのものを支える音なのだ。
次はキーボード+ファズギターのコードワーク主体のサウンドであることだ。上記のライバル3バンドがギターのリフ主導の音であるのに対し、分厚いコードサウンドによってメタリックな音の壁を作っている。またこれによってメロディラインもはっきりしたメロディアスな曲調となっている。うなるオルガンはオルガンハードロックといえるような音で当時のハードロックの中では際立っている。
もうひとつ、これはあまり語られないのであるがケンヘンズレーのソングライテシング力である。
ロックバンドは演奏テクニックの評価に偏重しがちであるがバンドの音楽性の根幹には一人であれ共作であれソングライテシングの能力が大きく存在する。ケンの憂いのあるメロディー、起承転結のある曲構成などはヒープサウンドの屋台骨となっている。このドラマ性はプログレッシブロックにも通じるもので、プログレ的と称される一因となっている。
ヒープの失速はケンの脱退も大きい。私もケンが脱退した時点で興味が急速に失われてしまった。
ドラマーが固定しなかったせいもあってリズムセクションはちょっと弱いがシャッフル系の疾走感のあるリズムに特徴がある。また黄金期のベーシストゲイリーセインはメロディアスなベースラインを特徴とするプレイヤーで目立たないけれど個性派ベーシストではある。
そんな彼らのオリジナリティが確立したヒット曲「look At Yourself」この曲がDeepPurpleのInRockを追いかける形で72年に発表
ライブとスタジオでの性格が少々異なっている。スタジオでは知的で端正なプログレハードロックなのだがライブではラフなロックンロールバンド色が濃くなる。この辺も当時の日本のリスナーには意外であったらしく評判は芳しくなかった。
しかしデビッドバイロンを擁するライブパフォーマンスはグラム的な華麗さと猥雑さもあって、戻れるなら当時に戻って見てみたいものである。
彼らの特徴が2分に凝縮された代表曲「Easy livin/安息の日々」のライブ。
スタジオの凝縮感はないが、代わりに彼らの派手な面が見える。ハードロック曲としては珍しくソロパートがなく歌を大事にする彼ららしい曲である。ステージの主役はバイロンで、キザな動きも彼だと嫌味がない。落ちぶれた貴族の放蕩息子といった彼の風貌と美声は大好きであった。そしてバイロン在籍最後のアルバム「High and mighty」では、その唄い上げる歌唱力が堪能できる。このバイロンの姿はもう見ることができない。(続く)
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和田賢一論3 恍惚と破綻に向かう絵画
http://kitaibunsh.exblog.jp/14054893/
2010-09-21T23:48:00+09:00
2010-09-23T00:44:10+09:00
2010-09-21T23:46:59+09:00
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隠れた画家
Atomic Angel 07-31 PYP 182x273cm アクリル 2007
サイードは晩年の優れた仕事の特徴は、統合ではなくて、「失われた全体性」、カタストロフィーだと指摘した。幻滅と快楽とを両者の矛盾を解決することなく提示できるのだと。
破局を恐れない芸術家の「後期のスタイル」「両極の一瞬にあらゆるものを照らし出すカタストロフィー」を目指したい。(和田賢一の著述より)
50歳を迎えた和田はこのように宣言しAtomシリーズはAtomicAngelというシリーズにバージョンアップする。その萌芽はそれ以前のAtomのシリーズですでに散見されはじめていた。
atom05-1(桜三月花狂い) 2005 182-273cm アクリル ウレタン樹脂 綿布 パネル
Atomic Angel 07-28 GVR P120
爆風のような激しさを伴いながらも調和した色彩や穏やかな空間に魅力があるが
Atomのこの辺りの作品では挑発するような色の対比、破綻するような狂気を感じさせる様相を見せている。清浄な美しさにとどまらない恐怖や不安、あるいは破綻のようなものが出始めている。
発光を超えて燃焼、あるいは核融合でいうところの臨界のような状態になっているような不調和さが感じられる。これはなぜなのか?
Atomic Angel 07 24 P.G.B.Y 195x300cm 2007 アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
Atomic Angel 07 25 R.B.G 195x300cm 2007 アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
先の宣言のような意識下、美⇔死にもうひとつのベクトルを加えてようとしていたようだ。
カタログをあらためてみて、画業を概観していたところ、特に後年の作品が妙にエロティックであることに気がついた。見ようによっては、女性器、生殖器、あるいは射精のように見えるし、抽象的なものでも性的な恍惚の瞬間のようにも見える。これは私自身、意外な発見であった。
和田については(いささか勝手に)高潔な印象を抱いてたのでこのことに少々戸惑った。知人の手記やご遺族の言葉からわかったことであるが、和田はエロスに対して非常に関心が高かったようだ。多くのコレクションも残されている。
Atomic Angel 07-32 B.P.Y. 182x273cm 2007 アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
そもそも地球を母なる地球のたとえのように女性とみれば、原爆は母性に対する陵辱であり爆発は壮大な射精に見える。原爆投下に至る戦争の要因は複雑ではあるが、本能レベルに単純化してみれば人間の持つ権力への欲望や攻撃本能にあり、男性的な本能に根ざしている。
この男性性、自分や愛する者の生死を脅かしたものが自分自身の中に生の根源的な欲望として存在しているという矛盾。聡明な和田はこの自己矛盾に気付いていただろう。
その自己矛盾を回避するために、自分を衝き動かす欲望を美=死=エロスと同列化し神聖化しようとしたのではないだろうか?あるいは胎内回帰的に、肯定的に許容し全体性として提示することを目指したのか?
Atomic Angel08-5RCP 303X228mm 2008
07-3GOVF10.jpg
官能的恍惚と芸術的恍惚は酷似しつつも同じではない。芸術的な感動と欲情は違う。エロスが芸術の本質であると賛美するのをよく耳にするが、それにすべてがあるとする事には私は賛同できない。
官能に重きをおくことは芸術だけではなく人生や社会においても宗教においても抑制されているのである。官能やエロスを芸術においても基幹的に扱うことは危険や破綻を伴う行為であるかもしれない。和田はその禁忌の領分にあえて踏み込もうとしたのだろうし、それゆえ破綻を招いてしまったのかもしれない。しかしこれはあくまで私の想像であり今となってはその答えを聞くことはできない。
A.A.07-40BRR91.0x45.5cm
07-3GOVF10
和田の代表的な作品は2000年以降の晩年に集中してる。晩年に代表作というのは歴史に名を残す芸術家たちの伝説からすると当たり前のように聞こえるが、多くの作家やクリエイターをみるとわかるように実はそう多くない。しかも2000年以降といえばすでに抽象美術は過去のものとなり時代は完全に移り変わってしまっているのである。こうした中で作品の質を常に上昇させていくというのはプレッシャーの強い困難なことであり、人生のピークというのは必ずしも晩年とは限らない。高い目標と意志と努力を要することで、その意味でも尊敬に値する。
静かに発光し続けるこれらの絵画は時を超えてみるものにその妖しい光を届け続けるに違いない。
(和田賢一論 終)
(和田賢一論2の最後にも加筆してます。あわせてお読み下さい)]]>
遂にモローのオルフェウスを見た!
http://kitaibunsh.exblog.jp/13758460/
2010-08-13T00:40:00+09:00
2010-08-14T08:51:54+09:00
2010-08-13T00:40:24+09:00
kitaibunshi-ms
隠れた画家
オルセー美術館所蔵であることなど忘れていて、ルソーあたりは見てもいいかななどと思いながら、混雑の噂にまあ行かなくてもいいかと思いはじめていた矢先、このオルフェウスが展示していると知って驚いた。
いつ行けるかわからないフランスに行くことを思えば、と一時間半並んで見に行きました。
展覧会自体はもちろんフランス絵画全盛期の名品が並ぶわけだから、滅多に見ない質だけれども、それにも目もくれずとにかくオルフェウスだけをめざして急いだ。
モローの初期の代表作である。彼の画業の中で名作は数多いが屈指の名画と行ってもいいのではないだろうか。他を圧倒する美しさで輝いていた。この輝きはレンブラントのダナエと同種のものだ。
実物をみて思ったのはまずその鮮やかさ。画集で知っていたものはもっと古色なセピアがかった色あいだったのだが実物は鮮やかな印象派とはまた違う内光から輝くような鮮やかさである。
上の画像はまだ生々しい記憶を頼りに補正したもの。これでももちろん違うのだが。
以前の掲載画像はこちら
http://kitaibunsh.exblog.jp/11055007/
初期の作風は筆触を押さえた精緻なタッチなので、実物もそれほど筆さばきのようなものを期待していなかったのだが、実際は生々しくせまる筆遣いが感じられ、描き上げた後のような画家の熱気や熱情、息づかいが伝わるようであった。まずその迫力に感極まってしまった。
背中側を背景に大きく空ける大胆な構図、計算された色彩や比率、早くもオリエンタルな趣味を見せているアラベスク、緩急を使い分ける筆触、タシスムなどをも取り入れた技法など爛熟した古典技法の技術の粋を垣間みる思いだ。
当時、産業革命がはじまり時代が科学信仰に移りはじめている。この絵の光が注ぐ背景こそ現代につながる未来であったかもしれないが、そこに背を向けている女の姿勢はモロー自身の姿勢でもあったのだろう。右下に描かれた亀もそうした意味であろうか?伏し目がちに竪琴を見つめる視線の先には小さな泉が描かれ、神秘主義を愛した画家の内実とその後の孤立した人生が暗示されている。
後期印象派と並ぶとよけいにその古色が目立つが、今となっていは印象派も古く見え、むしろこの作品の存在感は圧倒的である。モロー自身は後ろ向きだけの懐古趣味人ではなかった。先取の気質も併せ持ちつつドラクロアらの伝統を深く継承していた。その早いピークがこの作品であったとも言える。
その後、印象派とはまた違った道で独自の変革を一人で試み続けるのである。
安直なファンタジーが溢れる今にこそこの作品の真価が大きく見えるように思う。
我が心の師はやはり偉大であった。見られて本当に良かった。
あと3日。興味ある人は急げ!
ちなみにシャバンヌの名作もとなりにあり、こちらも穏やかないい作品、なかなか楽しめます。
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