2010年 12月 09日
ほんの少し早すぎた最期 清水誠一さんを悼む |
清水さんが急逝された。
2005−2007くらいまで一緒にグループ展をすることなどがあってよくお会いしていた。
身体も大きく、声も大きく、下ねたや駄洒落や酒が好きで豪放な方であった。
はたから見ると私が眉をひそめそうに見えるかもしれないが、清水さんとは結構うまが合うところがあって私はその大きな声でお話を伺うのが好きであった。
私が清水さんを知ったのはかれこれ20年くらい前の美術手帖の誌上でである。作品はそれほど好きではなかったが、そのいかにも論客風の風貌とコメントが印象深かった。
言葉の記憶はあやふやだが、優れた芸術にはその構造と根拠があるというようなことが書かれてあって作家活動を始めようとしていた自分にとっては戒めのように聞こえた。その頃の作風の絵を改めて見ると知的で上品で美しい。
その清水さんと親しくなるとは夢にも思わなかった。人生とは不思議なものだ。
しかし私が知っている清水さんはむしろハードコアでパンクではじけた清水さんで、気派展から突如出現した駄洒落具象画の強烈な画風に印象づけられている。情緒や論理的な判断を許さないその駄洒落のナンセンスさはどこまで本気か疑ってしまうほどである。そんな駄洒落絵画のなかでもとりわけ美しい作品のひとつ「シャッターチン」。社会全般が女性的に転換して大きく変わっていってることを実にタイムリーに捉えた作品なのかもしれない。
「粘りの白濱でやればいい」
消沈気味の私を励まして下さったこともあったし、
あるときは珍しく酔って電話をくださり、踊る操り人形のような絵を描いている白濱を思い描いたとおっしゃって下さった。
他の方とは少し異なる独特の思いやりが私には快かった。
最期の大作Under cuckoo nest 。実作は見ていないけれどこんな穏やかな絵は清水さんには珍しい。けれど清水さんの思いやりが感じられる気もする。こんな穏やかな境地に辿り着いてしまったのかもしれない。晩年のいい作品だと思う。
まさかこんなに早くお別れが来るとは少々予定外であった。こちらにゆとりができたらのんびり遊びに行きたいなとおぼろげに思っていた。
私は死に対しては誰が明日死んでもおかしくないと思っていて、親でも涙がでないほど冷静なのだが、清水さんの死は少し早すぎて寂しい。もっと早く小淵沢に伺いたかった。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2005−2007くらいまで一緒にグループ展をすることなどがあってよくお会いしていた。
身体も大きく、声も大きく、下ねたや駄洒落や酒が好きで豪放な方であった。
はたから見ると私が眉をひそめそうに見えるかもしれないが、清水さんとは結構うまが合うところがあって私はその大きな声でお話を伺うのが好きであった。
私が清水さんを知ったのはかれこれ20年くらい前の美術手帖の誌上でである。作品はそれほど好きではなかったが、そのいかにも論客風の風貌とコメントが印象深かった。
言葉の記憶はあやふやだが、優れた芸術にはその構造と根拠があるというようなことが書かれてあって作家活動を始めようとしていた自分にとっては戒めのように聞こえた。その頃の作風の絵を改めて見ると知的で上品で美しい。
その清水さんと親しくなるとは夢にも思わなかった。人生とは不思議なものだ。
しかし私が知っている清水さんはむしろハードコアでパンクではじけた清水さんで、気派展から突如出現した駄洒落具象画の強烈な画風に印象づけられている。情緒や論理的な判断を許さないその駄洒落のナンセンスさはどこまで本気か疑ってしまうほどである。そんな駄洒落絵画のなかでもとりわけ美しい作品のひとつ「シャッターチン」。社会全般が女性的に転換して大きく変わっていってることを実にタイムリーに捉えた作品なのかもしれない。
「粘りの白濱でやればいい」
消沈気味の私を励まして下さったこともあったし、
あるときは珍しく酔って電話をくださり、踊る操り人形のような絵を描いている白濱を思い描いたとおっしゃって下さった。
他の方とは少し異なる独特の思いやりが私には快かった。
最期の大作Under cuckoo nest 。実作は見ていないけれどこんな穏やかな絵は清水さんには珍しい。けれど清水さんの思いやりが感じられる気もする。こんな穏やかな境地に辿り着いてしまったのかもしれない。晩年のいい作品だと思う。
まさかこんなに早くお別れが来るとは少々予定外であった。こちらにゆとりができたらのんびり遊びに行きたいなとおぼろげに思っていた。
私は死に対しては誰が明日死んでもおかしくないと思っていて、親でも涙がでないほど冷静なのだが、清水さんの死は少し早すぎて寂しい。もっと早く小淵沢に伺いたかった。
ご冥福をお祈り申し上げます。
by kitaibunshi-ms
| 2010-12-09 02:07
| 日記