2010年 07月 10日
和田賢一論2 顔料から光へ 発光絵画への挑戦 |
絵画が発光し始める。
94年頃から和田はエアブラシを使い発光するような強烈な色彩感を伴う作風に変化する。
和田はフランチェスカなど古典名画と並んで未来派への関心が強かった。未来派は光やスピードといった非物質的な現象を描こうとしていた。和田が潜在的に具象性を内在しつつ、抽象性を追い、閃光や爆風に美を見出したとしたら、ここに関心を示し、光そのものを描きはじめたことは自然な流れだといえよう。エアブラシやアクリル絵具、ウレタン塗料などの技術革新が彼に新しい武器を授けたのだ。
Summertime 1994 アクリル 綿布
ガーシュインの曲名からつけられた「Summertime」は夏の日差しの記憶とともに、夏の日に落とされた原爆の閃光なのである。
和田の母は原爆が投下された日、爆心地から600mしか離れていない地点にいた。和田はこの閃光を母の記憶によって「見ていた」のかもしれないのだ。
見たら死んでしまう呪われた光。死と背中あわせの美しい光。
ATOM 2002-43 B.O.B
2002年 182×273cm
アクリル 綿布 パネル
ATOM 04-35 V.Y.P.P
2004年 273×182cm
アクリル 綿布 パネル
色には大きく分けて2つある。ひとつは絵の具や物質の色、反射光の色の世界である。
もうひとつは自然光や電子光などの直接光の色の世界である。
科学が発達する以前は太陽や月、そして炎など直接的な光の色というのは限られていた。
色と言えば多くは物質の色であった。そして絵の具はまさしくその物質の色を抽出したものである。絵画はこのように物質の色を顔料として抽出し人工的に再構成したものという事ができる。
日常的に光の色が登場するのは照明が発明されてからであるし、その色を日常的に見ることができるようになったのはなによりTVのおかげである。そしてこの光の色を自由に操れるようになったのはPCでのCGが普及したつい最近の事と思う。
TVやPCの色はRGBという光の三原色で合成されている。この色彩体験はそれ以前の体験とは大きく異なっているはずであり、このことは当然絵画にも影響を与えているだろう。
2002年頃からの「ATOM」のシリーズでこうした発光と色彩は結実する。エアブラシとたらし込みを駆使する手法は非接触で、非物質的であり現代の視覚情報を予見している。そのことが重厚長大な
傾向が強かった抽象絵画の中で和田の作品は軽んじられてしまった。
和田は物質を捨て光の絵画に向かったのである。
ATOM 04-55 O.S.Y
2004年 194×130.3cm
アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
和田は古典絵画の中の敬虔な光に惹かれる一方で、「印刷物やテレビの色彩に惹かれる」と語っている。ポップアート的な志向とも言えるこの言葉から、和田が人工的な光の色彩に関心を抱いているのがわかる。爛熟していたテレビや登場しはじめたPCなどのブラウン管の色彩に反応していただろう。
おそらく和田はこの光の色彩への志向と出自の体験との接点を現実に見ていた。91年の湾岸戦争の映像である。私は当時、夜間空爆されるイラクの映像をなんと悲しくも美しい映像だろうと衝撃を受けていた。和田もおそらく目にしているはずで、そのことは94年のこの作品に結実しているのではないだろうか。
恍惚的な美と破壊的な暴力/死を伴う光。
ATOMのシリーズでこの両極を融合させようとした和田は、
この接点を境に抜き差しならぬ境地に向かったように思う。その片鱗はATOMのシリーズでも既に見え隠れしている。
ATOM 04-53 G.O.G
2004年 178.2×120.0cm
アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
和田の作品発光し始める94年、音楽の世界ではそれより先にこうした発光現象が起こっている。
My Bloody Valentineの1991年発表の「loveless」で極限まで歪んだノイジーなギターが幻惑的な音空間を編み出し、その中を天使のようなウイスパーボイスが舞うという美醜がハイテンションで混血している。
91年はちょうどソビエトが崩壊し冷戦が終結、一方で湾岸戦争が始まるという時代の大きな節目でもある。この節目に現れた閃光のような音。
そしてそのオーロラのようなジャケットは偶然にも和田の作品に酷似している。
(つづく)
94年頃から和田はエアブラシを使い発光するような強烈な色彩感を伴う作風に変化する。
和田はフランチェスカなど古典名画と並んで未来派への関心が強かった。未来派は光やスピードといった非物質的な現象を描こうとしていた。和田が潜在的に具象性を内在しつつ、抽象性を追い、閃光や爆風に美を見出したとしたら、ここに関心を示し、光そのものを描きはじめたことは自然な流れだといえよう。エアブラシやアクリル絵具、ウレタン塗料などの技術革新が彼に新しい武器を授けたのだ。
Summertime 1994 アクリル 綿布
ガーシュインの曲名からつけられた「Summertime」は夏の日差しの記憶とともに、夏の日に落とされた原爆の閃光なのである。
和田の母は原爆が投下された日、爆心地から600mしか離れていない地点にいた。和田はこの閃光を母の記憶によって「見ていた」のかもしれないのだ。
見たら死んでしまう呪われた光。死と背中あわせの美しい光。
ATOM 2002-43 B.O.B
2002年 182×273cm
アクリル 綿布 パネル
ATOM 04-35 V.Y.P.P
2004年 273×182cm
アクリル 綿布 パネル
色には大きく分けて2つある。ひとつは絵の具や物質の色、反射光の色の世界である。
もうひとつは自然光や電子光などの直接光の色の世界である。
科学が発達する以前は太陽や月、そして炎など直接的な光の色というのは限られていた。
色と言えば多くは物質の色であった。そして絵の具はまさしくその物質の色を抽出したものである。絵画はこのように物質の色を顔料として抽出し人工的に再構成したものという事ができる。
日常的に光の色が登場するのは照明が発明されてからであるし、その色を日常的に見ることができるようになったのはなによりTVのおかげである。そしてこの光の色を自由に操れるようになったのはPCでのCGが普及したつい最近の事と思う。
TVやPCの色はRGBという光の三原色で合成されている。この色彩体験はそれ以前の体験とは大きく異なっているはずであり、このことは当然絵画にも影響を与えているだろう。
2002年頃からの「ATOM」のシリーズでこうした発光と色彩は結実する。エアブラシとたらし込みを駆使する手法は非接触で、非物質的であり現代の視覚情報を予見している。そのことが重厚長大な
傾向が強かった抽象絵画の中で和田の作品は軽んじられてしまった。
和田は物質を捨て光の絵画に向かったのである。
ATOM 04-55 O.S.Y
2004年 194×130.3cm
アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
和田は古典絵画の中の敬虔な光に惹かれる一方で、「印刷物やテレビの色彩に惹かれる」と語っている。ポップアート的な志向とも言えるこの言葉から、和田が人工的な光の色彩に関心を抱いているのがわかる。爛熟していたテレビや登場しはじめたPCなどのブラウン管の色彩に反応していただろう。
おそらく和田はこの光の色彩への志向と出自の体験との接点を現実に見ていた。91年の湾岸戦争の映像である。私は当時、夜間空爆されるイラクの映像をなんと悲しくも美しい映像だろうと衝撃を受けていた。和田もおそらく目にしているはずで、そのことは94年のこの作品に結実しているのではないだろうか。
恍惚的な美と破壊的な暴力/死を伴う光。
ATOMのシリーズでこの両極を融合させようとした和田は、
この接点を境に抜き差しならぬ境地に向かったように思う。その片鱗はATOMのシリーズでも既に見え隠れしている。
ATOM 04-53 G.O.G
2004年 178.2×120.0cm
アクリル ウレタン樹脂 綿布 木枠
和田の作品発光し始める94年、音楽の世界ではそれより先にこうした発光現象が起こっている。
My Bloody Valentineの1991年発表の「loveless」で極限まで歪んだノイジーなギターが幻惑的な音空間を編み出し、その中を天使のようなウイスパーボイスが舞うという美醜がハイテンションで混血している。
91年はちょうどソビエトが崩壊し冷戦が終結、一方で湾岸戦争が始まるという時代の大きな節目でもある。この節目に現れた閃光のような音。
そしてそのオーロラのようなジャケットは偶然にも和田の作品に酷似している。
(つづく)
by kitaibunshi-ms
| 2010-07-10 23:54
| 隠れた画家