2010年 07月 05日
和田賢一論1 具象画家としての和田賢一 |
故和田賢一さんの仕事について書きたいと思う。
私がそれにふさわしいかはさておき、故人と面識もなく世代も若干違う作家が書くというのはむしろ客観性という意味では親しかった友人知人より正当性があるだろう。
なぜ私がこんな事をするかというと、真摯な仕事を全うした作家に対する尊敬の念と評価に対する無念からである。(以下敬称略)
和田賢一は一般的にはカラーフィールド系の抽象絵画の作家の一人と目されているが、まずその事に少々違和がある。私は90年頃具象絵画の復権を模索していたのであるが、当時抽象表現主義やフォーマリズム絵画の焼き直し絵画が溢れる中、そうした絵画のつまらなさに飽き飽きしていた。その中で不思議と飽き飽きしていた抽象であるはずの和田賢一の作品に惹かれ続けた。当時はそれがなぜかはわからなかったが、今思うと和田の作品が具象性や象徴性を色濃く内包するものであったからに間違いなく、そのことが私を刺激し続けたのだ。
Opera In Blue 1990 162×388cm アクリル 綿布
たとえば和田賢一を知る機会となったNWハウスでの二人展の出品作は珊瑚礁か星雲を思わせる円環が描かれ、ほとんど風景画のように私の脳裏に焼き付いた。絵画の構造上必要であっただろう手前の黒い色面も珊瑚礁上の市街地やコロナなどかなり具体的な情景を思わせるものがある。輪と言えば具体の吉原治良やケネスノーランドを思い出すが、このようなこれが単純に幾何学的な楕円であったり、筆触だけの輪であればここまで記憶に残らないであろう。(吉原もノーランドも今となっては単純でしかなく、先駆性をのぞけばはっきり言ってつまらない)
そしてこの円環はビキニなどの環礁を思わせることに気付くと後のAtomのシリーズを予見していたのかもしれない。
吉原治良 ケネスノーランド
これは実際に抽象画家と目される作家の意識にあったのか?もう少し和田の仕事を遡ろう。
中村一美と同門で芸大の芸術学科の出で、榎倉康二に学んでいる。卒業も間近い頃の初期の作品が残されている。これは当時の助手であった方のコメントにもあるように和田の仕事の第一歩となるような作品であったようでこれは重要なのではないかと思う。
無題 1983年
球体のような形状群が転がり落ちるかのように描かれている。一見抽象的な作品であるが、球という具体性を色濃く感じさせるものであり、どこか有機的でもある。冷徹な幾何学上の円ではなく一見卵子や昆虫類の卵のような生命体に見えるし、単独で見れば惑星のようでもある。こうしたミクロ/マクロや生/死などの相反する両極を包含する傾向は後々和田の仕事に一貫していく。
抽象的な形態を構造上のものとしてではなく象徴性を帯びた対象として描くという意思がこの作品からは見えるのであってそういう意味で具象性や象徴性の色濃い画家の性格が十分に感じられる。
無題 1984年
このあとすぐに、難波田龍起やヴォルスを思わせる粗いタッチの作風に変化する。
この頃の作品ではオールオーバーではなく地と図の関係がはっきり見える。描かれているものこそ不明瞭な形象であるが、描く対象自体は意識化されている。このような組み立ては私にも覚えがあり、
捉え難い自己の意識のようなものをなんとか形象化しようとする試みであっただろうと想像できる。
そうした移行期として重要ではあるが作品としては前述のような作家の既視感は否めない。テーマの焦点と方法論とがまだかみ合っていないように感じられ、作品の空間性なども後の作品と比べれば貧弱である事が瞭然である。そのいら立ちがこのザクザクとしたタッチにむしろ現れているのではないか。このタッチは描かれるべきものを求めて堀探られている岩肌のようでもある。
またこの掲載作品の中には人物像らしきもが見えなくもない。(奥様に確認したところ人物を描いたものを覆っているのではないだろうとのこと)
和田の発言の中で「抽象絵画が好きなのです」というのがあったが、後年絵画修復などで得た具象の技術を生かしたらというアドバイスに「もともと出発は具象でしたから、そこへ回帰するかもしれません」というようなコメントを残している。
(このコメントはこちらのブログから引用させていただきました。
http://www.jj.e-mansion.com/~fuma/nikki17.htm)
聡明な和田はもしかすると人物のような描きたいものをこの頃の美術界を覆っていた抽象絵画論によって無意識に抑圧してしまったのかもしれない。
(続く)
私がそれにふさわしいかはさておき、故人と面識もなく世代も若干違う作家が書くというのはむしろ客観性という意味では親しかった友人知人より正当性があるだろう。
なぜ私がこんな事をするかというと、真摯な仕事を全うした作家に対する尊敬の念と評価に対する無念からである。(以下敬称略)
和田賢一は一般的にはカラーフィールド系の抽象絵画の作家の一人と目されているが、まずその事に少々違和がある。私は90年頃具象絵画の復権を模索していたのであるが、当時抽象表現主義やフォーマリズム絵画の焼き直し絵画が溢れる中、そうした絵画のつまらなさに飽き飽きしていた。その中で不思議と飽き飽きしていた抽象であるはずの和田賢一の作品に惹かれ続けた。当時はそれがなぜかはわからなかったが、今思うと和田の作品が具象性や象徴性を色濃く内包するものであったからに間違いなく、そのことが私を刺激し続けたのだ。
Opera In Blue 1990 162×388cm アクリル 綿布
たとえば和田賢一を知る機会となったNWハウスでの二人展の出品作は珊瑚礁か星雲を思わせる円環が描かれ、ほとんど風景画のように私の脳裏に焼き付いた。絵画の構造上必要であっただろう手前の黒い色面も珊瑚礁上の市街地やコロナなどかなり具体的な情景を思わせるものがある。輪と言えば具体の吉原治良やケネスノーランドを思い出すが、このようなこれが単純に幾何学的な楕円であったり、筆触だけの輪であればここまで記憶に残らないであろう。(吉原もノーランドも今となっては単純でしかなく、先駆性をのぞけばはっきり言ってつまらない)
そしてこの円環はビキニなどの環礁を思わせることに気付くと後のAtomのシリーズを予見していたのかもしれない。
これは実際に抽象画家と目される作家の意識にあったのか?もう少し和田の仕事を遡ろう。
中村一美と同門で芸大の芸術学科の出で、榎倉康二に学んでいる。卒業も間近い頃の初期の作品が残されている。これは当時の助手であった方のコメントにもあるように和田の仕事の第一歩となるような作品であったようでこれは重要なのではないかと思う。
球体のような形状群が転がり落ちるかのように描かれている。一見抽象的な作品であるが、球という具体性を色濃く感じさせるものであり、どこか有機的でもある。冷徹な幾何学上の円ではなく一見卵子や昆虫類の卵のような生命体に見えるし、単独で見れば惑星のようでもある。こうしたミクロ/マクロや生/死などの相反する両極を包含する傾向は後々和田の仕事に一貫していく。
抽象的な形態を構造上のものとしてではなく象徴性を帯びた対象として描くという意思がこの作品からは見えるのであってそういう意味で具象性や象徴性の色濃い画家の性格が十分に感じられる。
このあとすぐに、難波田龍起やヴォルスを思わせる粗いタッチの作風に変化する。
この頃の作品ではオールオーバーではなく地と図の関係がはっきり見える。描かれているものこそ不明瞭な形象であるが、描く対象自体は意識化されている。このような組み立ては私にも覚えがあり、
捉え難い自己の意識のようなものをなんとか形象化しようとする試みであっただろうと想像できる。
そうした移行期として重要ではあるが作品としては前述のような作家の既視感は否めない。テーマの焦点と方法論とがまだかみ合っていないように感じられ、作品の空間性なども後の作品と比べれば貧弱である事が瞭然である。そのいら立ちがこのザクザクとしたタッチにむしろ現れているのではないか。このタッチは描かれるべきものを求めて堀探られている岩肌のようでもある。
またこの掲載作品の中には人物像らしきもが見えなくもない。(奥様に確認したところ人物を描いたものを覆っているのではないだろうとのこと)
和田の発言の中で「抽象絵画が好きなのです」というのがあったが、後年絵画修復などで得た具象の技術を生かしたらというアドバイスに「もともと出発は具象でしたから、そこへ回帰するかもしれません」というようなコメントを残している。
(このコメントはこちらのブログから引用させていただきました。
http://www.jj.e-mansion.com/~fuma/nikki17.htm)
聡明な和田はもしかすると人物のような描きたいものをこの頃の美術界を覆っていた抽象絵画論によって無意識に抑圧してしまったのかもしれない。
(続く)
by kitaibunshi-ms
| 2010-07-05 07:33
| 隠れた画家